300年後へと引き継がれる3つの物語

90年間つれそった3枚の写真

それは、いまから何十年も、
もしかしたら、何百年も前のこと…。

大阪のある家庭に、ひとりの女の子が生まれました。
それはそれは笑顔が可愛らしい、
一家に授かった、初めての女の子です。
女の子をずっとほしがっていたおじいさんは、
人一倍この女の子を可愛がりました。
「目の中に入れても痛くない」とはまさにこのことだ、
と近所の人が噂するほどです。

そんなおじいさんにとっての大切なイベントが、女の子の写真撮影でした。
数年に一度。おじいさんと、そして同じように女の子を愛するお父さんが、
近所の大丸にあった写真館につれていってくれたのです。

まだ生まれて間もない、1歳のとき。
おもちゃのボートを買ってもらった、3歳のとき。
紐落としという儀式をして、大人と同じような着物を着た、5歳のとき…。

成長の節目節目で、かならず女の子の姿を写真におさめてくれたのです。
ふたりを一度に失うことになる、ある春の日までは。

その日は、突然やってきました。
女の子が幼稚園に入った4月のこと。おじいさんが亡くなりました。
そして、その翌月の5月には、お父さんまで帰らぬ人となったのです。
愛情をそそいでくれたふたりを、女の子はたてつづけに失いました。

そして、お父さんの葬儀のとき、女の子はようやく気づいたのです。
生きているあいだの父親の写真が、1枚もないことに。

「そうか。自分の写真も撮らずに、私の写真を撮ってくれたんだ」

そう思った瞬間、ぽろぽろと涙がこぼれてきました。

おじいさん、お父さん。
ふたりがどれだけ、私を愛してくれていたことだろうか。

それからというもの、女の子は、戦争が起きても、地震が起きても、肌身離さず
この写真とともに人生を歩んできました。

長い長い歳月を経て、93歳をむかえた彼女。
もう街の写真館なんて、ほとんどなくなってしまったけれど、
いまだに、この3枚の写真を持っていました。

なにものにも代えがたい、たった3枚の写真。
かすかな思い出と、おじいさんとお父さんの深い愛情が宿った、3枚の写真。

彼女は言います。
90年以上つれそった幼い自分の姿を眺めるたびに、
感謝の気持ちで、胸があたたかくも、切なくもなるのだと。
そして、何度もこうつぶやくのです。

「いつまでも、いつまでも残したいねん。これは、私の宝物やから…」

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